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九条は大事な宝

憲法は「最高法規」

日本国憲法98条では 「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部はその効力を有しない。  日本国が締結した条約及び確立された国際法規はこれを誠実に遵守する事を必要とする」 と書かれています。

この文言を読むと憲法は「国の最高法規」だと言う事がわかります。憲法は「法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為」などの「親方」です。

だから「親方」である憲法の「子方」の「法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為」が「親方」の憲法に違反している場合には、その「全部又は一部」を無効にすると言う事です。

◆上記表現のみに注目し「その表現は正しい『印象』を与えない。憲法は国会、内閣、裁判所よりも上、すべての国家権力の上だという意味で最高法規なのだ」という方がいらっしゃいましたので補足をしておきます。

◆憲法の最高法規性話の大前提は、日本が法の支配にあると言う点です。法の支配の強い影響を受けて日本国の憲法でも「憲法の最高法規性」「基本的人権保障」「適正手続」「司法権優越」が導き出されています。(法の支配の話は次章にて)

法の支配のもとでは憲法は国家権力を超えた存在

◆日本国憲法では「国権の最高機関」と授権している国会、同じく憲法が授権している行政、司法よりも「最高法規性」を根拠に上位にあることを憲法自身が宣言しており、憲法が「国会、内閣、裁判所よりも上、すべての国家権力の上」にあることは、もとより自明の理と言えましょう。つまり、今の憲法の規定、考え方からすれば憲法が国家権力の下にあるといった「印象」など生まれようがありません。(もっとも私が憲法は「法律」の「親方」などと書いたらそれは「正しくない」でしょうが、私はそのように書いてはいません)

憲法とは何か?の本質を踏まえた情報発信を!

◆逆に現役の国会議員の中にも「憲法は国民の権利ばかり記載されていて国民への義務の記載が少ない」との憲法に関する無理解から論を張っているものも見られます。「憲法とはどんなものか?」という本質が身に付いていないと、どちらの側からもおかしな議論が沸きあがってきます。「印象」などではなくて、「憲法とは何か?」の本質を「改憲」指向する側も「護憲」指向する側も知る必要があるのではないか?と私は思います。ちなみに当サイトは護憲の立場を明白にして運動を進めていますが、「改憲」「護憲」どちらの側の「感情論的言論」にも「感情的に」与するものではありません。

◆基本的に何事につけても「無理解」の根源は「相手の話を聞かない」事です。このページにて後ほど「言論の自由市場論」の話が出てきますので参考にしてください。思想の自由市場論の根幹は「相手の話をよく聞いて自分の頭の中でそれをトレースした上で自分のものにして、自分の考え(自分自身での考え方のモノサシ)を醸成し、これを発する」事です。

◆そういう意味から言うならば「お国コトバで九条を語ろう」という動きは九条を自分自身の考えにしなければ成り立たないことなのであって、私は大賛成です。全国のみなさんは大いに「自分のコトバ」で九条を語って欲しいと思います。実際に足を踏み出して他人にあなた自身の憲法論をあなた自身のコトバで訴えることが改憲論者の策動を封じる大きな一歩なのです。

九条の運動では「受け売り」はやめよう!:「自分のコトバで語ること」
薄っぺらな「受け売り」のコトバを弄しているだけでは、なかなか国民の過半数を結集するという大作業を実践し続けることは難しいと思います。それが大事なんではないですか?
結局誰かの言葉の受け売りのコトバは、それを言った人の権威を借りているだけであって、言っている人は誰かのコトバをして他人を服従できる(権力)と勘違いしていますが、結局人をしてあなたが発したコトバに「そうだ。私のほうからあなたに従う」(権威)と言う事にはなりません。
言ってみれば他人の生き方を変えられるコトバは、語る人が心の中から訴えるその人だけのコトバだけです。
私たちは机上の空論ではなく個別具体的な市民国民との対話を通じて実践をしています。ひとりひとりが「自分のコトバで憲法を語る」・・憲法を守ろうというみなさんの、そんな草の根の「憲法を守れ」の運動の力になればと思います。
憲法を知ろう!(自分のコトバで憲法を語り、運動をすすめるる助けになれば嬉しいです。)

憲法は国家権力行使者に対する「命令書」

憲法は国家権力行使者に対する「命令書」ちなみに「法の支配」と言うコトバを聞いた事はないでしょうか?法の支配とは専断的な「人の支配」を排し、国家権力が正しい法に拘束される事です。

現在、国家の権力は大きく「行政」「立法」「司法」に分かれていますが(三権分立)、これら権力行使を行うときには法に拘束され行われなければなりません。

そして権力行使を行う人は「国民の代表」です。(憲法前文)国民の代表である権力行使者は、法の大元である憲法を尊重し、憲法を擁護する立場で行わなければならないと、憲法は国民の信託を受けた国家権力の行使者に対して命令をしています。

法の支配の本質

◆法の支配とは「人の支配」に対置された概念で、ダイシーという人が詳しく分析しています。その内容は(1)正規の法(通常の裁判所で通常の法的方式をして確定された法)の絶対的優位(2)法の下の平等(3)憲法規範から個人の権利は演繹されない、となっています。ダイシーの分析には時代的制約があり全面的にこれをそのまま今日に受け入れることは危険な事ですが、その精神は今日的な憲法原理に影響を与えています。

◆法の支配はいわゆる大陸法的な「法治国家」論を含んだ上で、議会の制定法が個人の自由と平等を内容とした「高次の法」への内容的な適合も要請する体系となっており、自然法的体系なのかな、と私は思います。日本国憲法では法の支配の影響を強く受けており、前章にて書いた「最高法規性」、そしてこの章での権力者に対する憲法尊重擁護義務はその「高次の法」に対応するもののひとつです。

憲法99条 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し養護する義務を負ふ」

法は「権利」、憲法は法の番人

法は「権利」われわれ一般庶民は、どうしても法(ここでは法令)は「ご法度」という感覚で「お上から強制されたもの」と考える事が多いようです。けれども、法律学的に見ると法(法令を含む一般概念)は権利(right)であって、法(法令を含む一般概念)を積極的に守る事で私たちの権利が実現されるものとされています。

ただし法(法令)によっては国民がいくら守っても国民の権利が実現されない場合があります。それどころか法(法令)を守ったために国民の権利が侵害される場合も考えられます。

しかし、そもそも「国民の権利を守れ」と権力者に命令しているのは憲法ですから、国民の権利が守られない「法」(法令)、国民の権利を侵害する「法」(法令)を権力者が制定した結果、国民の権利が侵される場合には憲法違反としてこれは無効になります。

つまり憲法は、国民の権利でもある「法」(法令)の番人でもあると言う事です。

憲法は支配者の権力行使を制限するもの

さて、今日的な意味での憲法(聖徳太子の時代の『17条憲法』などではなく)は、市民革命の過程で、王様などの支配者の権力行使を「制限」して市民の権利を守るものとして発展してきました。

「由(よ)らしむべし知らしむべからず 」と言うのを聞いたことはありませんか?為政者にとって都合が良いのは黙って従う人民であり、為政の理由を知られて騒がれる事は古今東西メイワクな事だったようです。

しかし、そのような中でもきちんと物事を知った人々を中心にした勢力と人々が、時々の為政者と闘争し、自分自身の権利を確保(回復)してきた(逆に言えば為政者の権限を一つつづ制約してきた)歴史が、今日の民主主義を彩っています。

日本国憲法97条で「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって・・・」と言っているのはその歴史的経過を表現しています。

つまり、憲法で為政者が国民の権利を踏みにじるような規定は許されないという事です。為政者のいたずらな権力行使を制限するために憲法はあります。

権利はたたかい続けて守れるもの

◆【この章のタイトル「たたかい続けて」について】九条を守れと言っているサイトが「たたかう」など物騒だ!と、誤解する人が出てはいけませんので(笑)、おわかりだとは思いますがここでの「たたかう」は障害や困難をのりこえる意味であって「いくさ」の意味ではありません事を申し述べます。

しかし国家権力は黙っていると国民の権利を制限しようとします。その方が権力行使には都合がよいからです。

こちらが何もしないと不断に国家権力は個人の権利を制限しようと「侵奪」をこころみてきます。

たとえば最近話題になった政党機関紙のビラ配布に関して、権力側が「住居侵入云々」の立場で軽微な件を立件しようとやっきです。

しかしこの問題の本質は憲法に規定されている「表現の自由」をどう捉えるか?と言う点です。権力側はけっして「表現の自由をどうこう」と正面切っては問うてはきません。常にまわりの軽微な事例から「じわじわ」と本丸を攻めようとします。

そのような状況の時に「自分には関係ない事」とタカをくくっていると最後には思いがけない形で自分自身に返ってくる場合だってあるのです。

まず彼ら(引用者注:ナチスを指す)は共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。

それから彼らは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。

それからはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。

そして、彼らが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。

“First they came for the Communists, but I was not a Communist so I did not speak out. Then they came for the Socialists and the Trade Unionists, but I was neither, so I did not speak out. Then they came for the Jews, but I was not a Jew so I did not speak out. And when they came for me, there was no one left to speak out for me.”
【ドイツの神学者マルチン・ニーメラーの言葉】

だからこそ、主義主張の枠を超えあえて憲法12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力でこれを保持しなければならない」と国民の努力を促しています。国民は「不断の努力」で、自分たちの権利を守るためにこれを制限する動きとたたかわなければなりません。

「思想の自由市場」論

◆補足ながら、「思想の自由市場」論という説があります。表現の自由の優越性を示すときに用いられる概念で、表現の自由は個人の自己実現、自己統治に必要不可欠なものであり、それを実現する場が「思想の自由市場」であるというものです。

◆為政者にとっては「思想の自由市場」と言った考え方そのものが迷惑至極なことかもしれません。国民は何も知ろうともせず、何も知らずに、羊のようにおとなしく支配に従っていたほうが都合が良いですからね。支配層の主張を盲信してそれをそのまんま再生産して宣伝してくれる人がいたりしたら、なお良いでしょう。

◆しかし国民主権の法体系下では国民それぞれが自己実現、自己統治を行う権利を有する当然の考えを、一人一人の国民が持つことは当然です。そのためにも思想の自由市場を侵奪するような動きには、お互いの人種信条性別社会的身分などの違いを超えてともにたたかう必要があるのではないでしょうか?
「私はあんたの考えには同意できないが、私自身の言論の自由を守るためにも、あんたと共に言論の自由を奪おうとする者とたたかう」

戦争になると人権が制限される

戦争になると人権が制限される日本国憲法9条は戦争放棄を宣言しています。日本が「戦争をしない」と言う事は、日本が「戦争のための人権制限をしない」と言う事でもあります。

戦争になると「人権が制限される」事はこれまでの歴史が明らかにしています。最近では戦争をしないハズの日本でもアメリカに従って戦争をするために「有事法制」が制定され、「有事」の際に人権が制限される事が法制化されています。

現行憲法規定で「戦争をしない」事を宣言している日本で、戦争の際に人権を制限する事を予定したような「法」はそもそも憲法違反です。

その理由は、九条をはじめとして、現行憲法のどこにも「有事の際の人権制限」規定が書かれていないからです。

よってこれが現行憲法下で「有事」となり、実際に国民の権利を実際に蹂躙すようになると「この『有事法』は憲法違反だ」との訴訟が数多く出されるでしょう。そのような事態を避けるために政府はあらかじめ戦争の障害となる「本丸」の憲法9条改悪を狙っています。

人権を守るためにも憲法9条改悪を許さない

日本国憲法9条が厳然と存在するにもかかわらず必死になってあの手この手で「戦争準備の法」=「人権制限を予定する法」をこしらえて既成事実を積み重ねようとする改憲勢力。その最終的な仕上げ過程が本丸の「憲法9条」改悪です。

私たちは人権制限の道につながる憲法9条改悪を許す事はできません。平和を守る=私たちの人権を守るために、共に人権制限をもくろむ憲法9条改悪派の野望をたたかいの中で打ち破っていきましょう!

憲法の理念を活かした「美しい国」づくりこそ大事

◆「戦争をしないで、世界の中での地位を占める、これまでなかった国のありかた」といういう国のあり方の理念を明らかにしている日本国憲法は、正直言って世界の「常識」から見ると実に「特異」と言われることもあります。

◆たしかにこの理念とは、これを貫こうとすると厳しい困難や苦難が先にある道です。そこで、簡単に物事を解決してしまいたい勢力から見ると「邪魔な存在」であることは間違いないでしょう。そこで手っ取り早く「憲法『改正』」となるでしょう。

◆しかし、もう一度、憲法前文から読み直してみてください。日本は先の戦争で多くの人に迷惑をかけ、そして自身も多くのものを失いました。その厳しい反省に立って、これまで世界に存在しなかった高邁な理念をあえて宣言しました。戦争に伴なう人権制限の規定を一切置かない日本国憲法は、その意味でも世界の常識から見て「特異」な存在です。しかし、この「特異」さは、改憲論者が憲法攻撃をする際の「特異」のコトバとは趣きを180度変えていることに注目すべきでしょう。

◆戦争をしないで世界のために奮闘する国、そんな日本にするためには、「憲法九条がある日本、そしてその理念を実践している日本」、つまり憲法九条の語っている理念を日本国民が理解し、実践する、これが大事ではないでしょうか?


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